私の母は双極性障害と言う精神障害です
双極性障害ってなに?
双極性障害を聞いたことがない方も多いのではないでしょうか?私も母がなるまでは知りませんでした。
双極性障害は、
気持ちが落ち込むうつ状態と、気持ちが高ぶる躁状態を繰り返す精神疾患のことです。
私は医師や専門家でもない、ただのアラフォー主婦なので、専門的なことはお話できませんのでご了承ください。
母のお話と、家族として私が感じたこと、経験したことをお話していこうと思いますので、どうぞよろしくお願いします。
うろ覚えのところもあり、なるべく詳細に書いていこうと思いますが、多少時系列などが異なっているところもあります。
双極性障害になった母の異変
買い物
母の異変を初めに感じたのは買い物でした。
裕福な家庭ではなかったので質素な生活をしながらも、半額シールを見つけるとよく嬉しそうに買っていた母。
そんな母がなんでもない日にケーキを買ってきたんです。
すでに結婚をし家庭を持っていた私は子供を連れて母の住む実家をよく訪れており、この日たまたま実家へいました。
ラッキーだったね!匂い嗅ぎつけてきたんでしょ!
なんでいきなりケーキ?しかもこんなにたくさん
元々落ち込みやすい母。外では大人しくていい人と言われるような人でした。
最近少し元気がなかったこともあり、
まあ~元気になってよかったじゃん
くらいにしか思っていませんでした。
ケーキを買った経緯や、お店のこと、なんだかよく喋る。急に元気になりすぎじゃない?と思いましたがその時は、まさかそれが前兆とも思いませんでした。
テンションが高すぎる
実家には祖父母も一緒に同居していました。
ケーキからすぐのこと、祖母から連絡があり実家を訪れました。
お母さんがなんだかおかしいけどなんでかねー。
確かにあの日(ケーキ)もちょっとおかしかったよね
母が帰宅すると、目つきがいつもと違い、まくし立てるように話してきました。
いいこと思いついちゃったんだけどさー!
よくわからない妄想話が止まりませんでした。
明らかにおかしい。この日は子供と一緒に実家へ泊ることにしました。
心配した叔母なども集まり母の様子を見守っていました。
- とにかく喋る
- 寝ない
- 突然、突拍子もないことを思いつく
- よく食べる
- 急に誰かに連絡をする
状況が理解できず困惑する父が
ちょっと黙っとれ!!
母は、ぶつぶついいながら紙に思いついたこと、話したい事を書き殴り始めました。
深夜、子供と寝ていた私を興奮しながらたたき起こし
いいこと思いついちゃったんだけど、〇〇さんに今から電話してもいいかな?😆
こんな時間にかけたら迷惑だから辞めとこう。とりあえず寝ようね。
深夜になっても寝付くことのなかった母。寝ていないにもかかわらず常にテンションが高く、頭をフル回転させていました。
祖母や父も同じように起こされ、とにかく父にたいして攻撃的になっていた母は父を罵倒していました。
超が付くほどの亭主関白だった父。父に逆らうことなどほとんどなかった母が見せた姿。
母にとって祖母はいつも味方であり、信頼できるはずの祖母にまで
『なんでおばあちゃんも私の気持ちをわかってくれないのー!!!』
と突き飛ばし、うなだれている父の姿、悲しそうな祖母の姿を見て、私も限界でした。
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ネットで調べる
あまりにもおかしい母を見て、もしかしたらなにか病気なのではないかと思い、インターネットで母の症状を検索してみました。
双極性障害
初めて聞く言葉でした。症状は当てはまるものばかり、早く病院へ連れて行かないと。
症状や病気について書かれている記事を印刷し、家族に見てもらいました。
すぐに病院へ連絡をしましたが、予約は1か月先…
待てるわけがない。家族も仕事を休み母の対応に追われ、睡眠不足もあり限界でした。
なんとか見てもらえないかと相談をし、病院へ連れて行くことができることになりました。
精神科病院へ入院
私はおかしくない!こいつがおかしいんだ!!
父にそう言い放ち、病院を拒む母。
母は、父の頭がおかしいから病院へついて行ってあげる!そんな気持ちでなんとか受診することになりました。
近くの心療内科で診てもらい、その後入院施設のある大きな精神科の病院へ行くことになりました。
自分が入院することを知った母は、
騙されたーーー!!!
こいつの頭がおかしいのに、なんで私が入院しなくきゃいけないのーーー!!!
と大声をあげていたのを今でも鮮明に覚えています。
私と父で話を聞くことになり、
先生ハゲだね!おもしろーい!!
この人全然似てないけど私の娘なんだよー!
さっきまでのことは忘れたのか、すっかり入院する気になっていた母が担当医の先生と話をしていました。
大人しくていい人と言われていた母の姿はそこにはありませんでした。先生に、すいません…と言いながらなぜかすごく悔しくて、泣くのを堪えながら話をしました。
母が入院することになり、入院準備のために兄と買い物へ行きました。
母の異変からしばらく実家から出ていなかった私。久しぶりに外の日常へ出た時に、これまで当たり前に見ていた景色、買い物をしている人たちの会話、どれもが違和感に感じ、人の会話が母の止まらないおしゃべりのように聞こえ、耐えられなくなりすぐに店を出ました。兄も同じことを感じていたようです。
たった1週間。私はこれまで当たり前に過ごしていた日常を忘れるほどの1週間でした。
入院中、母からたくさんの手紙が届きました。捨ててしまったものもありますが、今でも見返すと当時のことを思い出します。
子供でも読めるようにわかりやすく書かれています。でも私が読みました。だって難しいのわからない😅
自分用に買いましたが、我が家の子供たちにも、母の病気について伝えるのに役立ちました!
いまだにわかっているのかわかっていないのか?ですが、気になった時にすぐ手に取れる。人に上手く説明できない時に読んでもらいやすい。
聞いたことない病気とか、知らない言葉って大人でも難しいですよね。そんな時は一生懸命難しい本を読んで理解しようとしなくてもいいと思うんです。
本人のために家族が出来ることは、まず知ることだと思います。
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母と私
私は19歳で結婚し家を出ました。幼いころから、早く家を出たいと思っていた私。
アラフォーになった今、あの時の自分自身は幼く子供だったなーと思う気持ちと、自分が子育てをする中で、幼いながらも必死にもがいていた気持ちを思い出しました。
母は元々落ち込みやすい性格で、よく落ち込んでいる姿を目にしていました。
父はとにかく亭主関白で、昭和の男!と言う感じで私はいつも機嫌を伺っていました。
よく喧嘩をして言い争いをしている両親が嫌で、同居している祖母の部屋へ逃げ込んでいました。
そんな両親を見て育った私は自然と祖母に懐き、
2人を追い出して、おばあちゃんと暮らしたい
なんて幼い頃思っていました。
今思えば、父は本当に昔ながらの人だったのでとても不器用で、弱音を吐くこともできず、母のことを誰かに話すことも出来ず、お酒でごまかしていたんだと思います。子供のことに無関心でいたのは、男がするもんじゃない。と言う気持ちがあり、あえて子供と関わることを避けていたようにも思います。そして男・女にこだわり、兄には手が出ることもよくあるほどしつけに厳しく、私は女なんだからと門限はとても厳しく、女が勉強なんてしなくていいと大学進学を夢見ることもありませんでした。
母は昔から大人しい真面目タイプ。実家から出たことのないいわば箱入り娘だったので、男性に慣れておらず、父のような人と関わったことがなかったのでどう対応していいのかわからず、そんな時に声をかけてくれた人からの言葉を信じ、外へ出ていくようになりました。
当時まだ幼かった私は、母が外に行っている時は機嫌がよく、元気な母を見るのが嬉しくて、怒っている父に対して「なんでお父さん怒ってるの?」と不満でした。
父の機嫌が悪い時は私が父の機嫌を取るのが役目だった為、父の顔色を常に伺い、両親の機嫌にはいつも気を使っていました。私がいまだに人の顔色を伺い、人の機嫌が悪いと私まで辛くなってしまうHSPの症状は、この経験があったからだと思います。
母と私は性格も容姿も似ておらず、成長とともに母の言動や行動が理解できず、家にいるのが嫌になり、高校生になった時には、バイトや友達、彼氏と遊ぶことで毎日家に帰るのは門限ギリギリの生活をしていました。父が怖かったのと、門限を守らなかったことで母が落ち込むのを見るのが嫌だったので門限だけは守り、極力関わらないようにしていました。
父ともほとんど話すことはなく、顔を合わせることもほとんどなくなっていました。
高校生の時に付き合い始めた彼氏(今の旦那さん)と高校卒業後、結婚したいねとよく話していました。
当時、両親に彼氏を会わせたくなかった私は、子供ができれば結婚できるし家を出れる!なんて安易に考えていました。
付き合って1年も経たない頃、妊娠していることがわかり結婚し、家をでることになりました。
楽しかった思い出もあったので、実家を出る時は少し寂しい気持ちもありましたが、家を出れる喜びのが大きかったです。
入院する1年前にみんなで紅葉を見に行ったんです。あれから15年。昨年、母を連れて同じ場所へ行ってきたのが冒頭タイトルの紅葉写真です。
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母が入院するまでを振り返ってみて思ったこと
母が躁状態になるまでに、落ち込んでいた時はうつだったのかもしれないと思いました。
もっと早く母の様子を見てあげて病院へ連れて行っていたらと思うこともありました。
父は俺のせいだと思っており、今でもその気持ちでいるのかもしれません。
私も「元々お父さんのせいでしょ」なんて思ったこともありました。
双極性障害の原因は、遺伝や脳の異常など、正確なことはわかっていないようです。
母の原因がなにかもわかりません。誰かのせいとか、自分のせいと思った方がラクだったのかもしれません。
私は当時3歳と0歳の子を抱え、実家へご飯を作りに行ったり、祖母を連れて一緒に病院へ行ったりしていました。
若かったこともあり、まだまだ体力もあったので大変ではありましたが、毎日元気にフル稼働していました。
母のことがあったことで、子育てのことで悩む暇がなかったのかもしれません。
今、改めて思い返してみるとよくやってたなと我がことながら思います。
ただ、同じような悩みを持つ人は近くにおらず、家族の前では弱音や不安を話すことが出来ず常に明るく振舞っていたので、誰か助けて…と、家で1人よく泣いていました。
現代のようにSNSで同じような方と繋がれる世界があの時もしあったら、
病院や行政の制度でもう少し家族の気持ちに寄り添ってくれたら、
なにもわからなかった私は誰かに頼ることが出来ず辛かった。
現在アラフォーになった私は、人に頼ることも出来るようになり、相談したり悩みを打ち明けられる家族も友達もいます。
しかし、子供だったり、若い方には、人に聞くことや頼ることができなかったり、相談できないことがあると思います。
そんな時、ただ話を聞いてあげたり、どうしたらいいのかを分かりやすく教えてもらえたり、気づいてあげられる人になりたいと密かにずっと思っていた私がやっと決意しました。
まとめ
普段はズボラで呑気な普通の主婦ですが、ブログを書くことで同じように悩んでいる方や苦しんでいる方に、私の経験が少しでも役に立つことができればいいなという思いと、私が30歳を過ぎてラクに生きれるようになったのはなんでだろう?と思い返した時に、母の病気のことを改めて思い出し、記録として残しておきたいと思いました。
ご覧いただきありがとうございました!
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